診断の時



海斗が3才になる前のころ

知り合いに紹介してもらった精神科の女医さんに電話で相談した事があった。
海斗の言葉の遅れや行動などをお話したところ
「自閉症の症状だと思う部分とそうでないと思う部分があるから
専門の機関に連れて行くように」
その言葉で病院に連れて行く決心をした。






  K学園(海斗3才)

当時住んでいた県内では唯一の障害児専門機関で学校や寮、病院の施設を備えた所
ここにはOTができる設備があるため 県内中の子がやってきていた。
絵本を見せたりブロックやお人形などを使って海斗の様子などを30分ほど診ていたドクターは
「自閉症ですね。全ての傾向(自閉症の症状)が3才未満で発症してますから。
この子は親を親と思ってなくお母さんは生活をしやすくするための道具、
お父さんは優しいおじさんと言う認識しかもっていません」と言われショックを受けた。
この後ドクターが何を話したのかは覚えていない。
イスから立ち上がれなかった私を看護婦さんが心配してくれたことは覚えているが…。
帰り道 ハンドルを握りながら前がにじんで見えなくなり 何度も車を停めた。
何も知らない海斗は後部座席のチャイルドシートでご機嫌だった。
絶望…本当にそんな気持ちだった。






  N大学病院

地元の新聞に発達障害の診断ができると掲載されていたことを思い出して電話してみた。
初診の予約は半年待ちは当り前なのだけど 運良くその日キャンセルがあったらしく 
「今日すぐにいらっしゃい」と言われ特急に飛び乗った。
私の話を聞きながら海斗の様子をじっと診ていたドクターの優しい目が変わったのは
診察室にあったミニカーを動かしては それを斜めから見てる海斗の姿を見た時だった。
「おかあさん、この子自閉症だわ。でも この子は視線も合うし他人の顔も見れる。
そして何よりも笑う事ができる。お母さん、いい育て方をしましたよ」
私は今まで自分の育て方が悪いからと思っていました。
「何でしゃべれないの?」といわれる度に自分の育て方のせいだと思っていました。
誰も私の育て方を誉めてくれる人はいませんでした。
たった一言、その言葉で私は救われ
自分の中にあった壁がなくなって行くのがわかりました。
ドクターから保育園での一日保育を認めてもらう事、
加配の先生をつけてもらうこと、
これからの療育が海斗のこれからを左右することを聞き
親としてするべき事は何なのかを考えさせられました。
ただ 言葉に関しては「この子には言葉は期待しないでください」と言われて辛かった。
 


   


  子供相談センター

加配の先生を付けてもらうには どうしても療育手帳が必要でした。
そのためにセンターの先生に保育園に来てもらい そこで発達テストを受けました。
結果はIQ60の軽度知的障害の判定でした。
その時テストをしてくれた先生の言葉は
「この子には勉強する事は無理です。
親が医者だからといって将来医者にさせようと思わないで下さい。
高校や大学には行けないし、将来はクリーニング屋の奥でアイロン掛けをする職業もあるからね。」と。
今思い出しても泣けてくる言葉でした。







  O総合病院

パパさんの実家のある大阪の病院で児童精神科がある。
今まではその場で診断を出すドクターばかりだったが ここのドクターはそうでなく、
診察、発達テストをして結果をみた上で診断をしたため何度も通った。
結果は「もろに自閉症でなく その傾向がある」というもの。
「知的障害もあるので おそらく大人になっても小学校4年生ぐらいまでの知能でしょう」と言われる。
現在 海斗とつながりがある病院はここだけになった。






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