海斗のこだわりについて


    はじめはそれをこだわりだとは気付きませんでした。


  まだ1才ぐらいの頃です

    お出かけする時は必ずと言っていい程 靴と帽子とお気に入りのぬいぐるみがワンセットでした。
    靴や帽子は新しいものを買おうとして試着させようとしても もうひどい抵抗にあいました。
    靴は新しいものを履いてくれず本当に困りました。
    が 一旦無理矢理にでも履かせてしまえば 次からはそれを抵抗なく履いてくれて
    今度はそれに対してこだわりが生まれている、そんな感じでした。


    お散歩には毎日のように連れて行きましたが 必ず同じコースを歩かなければいけませんでした。
    「今日はこっちに行こうか?」は通用せず 大泣きされました。
    いつものコースに戻ればそのパニックもすぐに止むのです。

    お散歩に行けば必ずと言っていい程 道の小石を拾いました。
    そして次にまた拾うと 先の小石は「ママ、持っててね」って感じで私に渡すのです。
    私のポケットや鞄の中には いつも小石だらけでした。



  2才くらいの頃
    それまでうちの車にしか乗った事がなかったのですが 知り合いの車に初めて乗せてもらってからです。
    その車と同じ車種を見かけると「うー、うー」言って指をさし私に教えるのです。
    そして「あれは○○先生と同じ車だね。◯◯(車種名)だね」とこちらが答えない限り
    「うー、うー」と指さしは終わらないのです。
    それからは車にすごく興味を持ち うちの車や同じ官舎内の車へ
    とにかくたくさんの車の車名を私に言わせ それを覚えたようで
    少しでも私が言い間違えると 「うー、うー」は終わらないのでした。
    「視覚優位」である海斗は
    自分の興味があるのもに対して見たものをまるで「写真」にするかのようにして
    自分の記憶の中に入れてしまうようでした。
    自分が知っている物の小さな変化、
    知人の車がホイルでも変えようものなら それはもう大騒ぎでした。そこを指さして「うー、うー」言うのです。


    ミニカーも大好きでした。
    そしてそのタイヤにも興味を持ちました。
    一般的に自閉症の子はミニカーを走らせて遊ばないとは言われていますが、
    海斗の場合それは当てはまらなく走らせて遊ばせていました。
    が テーブルに置いたミニカーを「斜め下から見る」「車を見ると言うよりもタイヤを見ている」
    そんな感じでした。
    また ミニカーなどを一列にきれいに何度も並ばせる子も多いのですが 海斗にはそれはなかったです。
    ミニカーのタイヤなんて悲惨でした。
    タイヤがないと走らせにくいのに タイヤは全て取ってしまうのです。
    家中小さなタイヤだらけでした。
    このこだわりは今でも少し残っていますが…
    (海斗も分かっているらしく気を付けているようですが ついやってしまうらしい)
 

    遊具のくまさんにもこだわりがあり手にしたものは何でも 
    そのくまさんの座席の下にしまわなければ気が済みませんでした。
    とにかくこのくまさんがなければ 一日が始まらないし終わらないのでした。
    海斗が3才の時にこのくまさんに対するこだわりを崩しましたが
    そのことはこのページのもう少し下の方に書きます。


    パパに対してもこだわりがあり 海斗を寝かしつけるのはパパでなければなりませんでした。
    私が一緒に布団に入ろうものなら もう大変でした。
    でも パパがいない夜は私でも平気なのです。


    また 多動でもありました。
    本当によく動いていましたし落ち着かなかったです。
    イスに座る…なんてとても難しいことでした。が、大好きな車中では多動でなくなるのは不思議でした。





くまさんのこだわり


A訓練センターで聞いた話

    大阪にあるA訓練センターに見学に行った。
    ここは病院などの公的な機関ではなく いわゆる訓練のプロ集団であり訓練には月単位で料金がかる。
    ここの所長さんは海斗をみて 「本当に自閉症?別のものじゃないの?」と言う。
    ここの訓練の様子などをビデオで見せてもらった。


    ここに通うT君は ハサミにこだわりがあります。
    ハサミが大好きで ハサミを見たら何でも切ってしまおうとします。
    事務所にある物を何でも切ってしまうので T君が来る日はセンター中のハサミを隠してしまわなければなりません。
    それでも どこからかハサミを探し出してくるのです。
    ある日 所長はT君のためにハサミを使っても良い部屋を作りました。
    その部屋だけはハサミを使っても良いのです。喜んだT君はその部屋でハサミを好きなだけ使います。
    その日からT君はセンターに来ると 、その部屋へ行きますが段々と部屋は狭くなっていきます。
      T君が来る前に段ボールなどを部屋の中に入れ部屋を狭くしていくです。
    それでもT君は部屋でハサミを使いますが 
     ある日とうとうT君が部屋に入れないくらい部屋は狭くなってしまいました。
    所長はT君がパニックを起こすだろうかと心配したそうですが
    T君は
    部屋に入れる=ハサミを使える、
    部屋に入れない=ハサミを使えない。
    こういう図式ができあがり パニックも起こさずハサミのこだわりはその日でなくなったそうです。


    この話を聞いた私は海斗の「くまさん」に対するこだわりを壊してみようと思いました。
     これには座席の下に物入れがあり、何でもその中にいれてしまうため、
     「物がない」という時はこの中を見ると入っていたりしたものだ。
     いつも通り給食を食べて保育園から帰宅した海斗は 何かの事でパニックになった。
     あまりにもひどいパニックだったと思うが その後で泣きつかれたのか寝てしまった。
 


    今まで何度もくまさんを使ってはダメと言っても本人には通用しなかったので
    いっその事隠してしまえ!って思い 海斗が寝ている間に押し入れに隠してしまったんです。
      センターで聞いたように だんだん使える部屋を小さくしていくことも考えたが 
    住宅事情でそんなことはできそうになかった。
    お昼寝から目覚めた海斗は まっしぐらでくまさんを置いていた所へ行きました。
    でも もうそこにはないのです。
    床をバンバン叩きながら「うーうー」と騒ぎ立てました。
      「ここにあったくまさんはどこにいった!」
    そんな感じで それはそれは大騒ぎでした。

    「あのね、くまさんは海斗がさっきあんまり泣くからビックリしてね、おうちに帰ってしまったんよ」
    こんな言葉で納得するはずがない…と思ったのですが 本人もひどく泣いたからだと思ったのか
    その時はそれで終わってしまったのです。
    それから何度もくまさんがあった場所に行っては 床を叩き「うーうー」言う海斗がいましたが
    その都度「くまさんは海斗が泣くからおうちに帰った」と繰り返しました。
    何度か負けそうになり押し入れから出そうかとも思いましたが
    「あと少しだ」と私自身に言い聞かせていました。

    その少し後で大阪の病院に通うためパパさんの実家でお世話になっていた時のこと
    あのくまさんとまったく同じものが近所のお宅の玄関先に置いてあるのを海斗と見てしまったのです。
    私は海斗がパニックを起こすのではないかと心配しながら
    「海斗、ここがくまさんのおうちだね。ここにくまさんは帰って来たんだね。
    くまさんにバイバイしょうね」と言うと 素直に納得ができたようでした。
    これ以降 くまさんの置いてあった床を海斗は叩かなくなりました。
    この頃 それまで絵などかけなく 本当になぐり書きしかできなかった
   海斗が初めて人の顔らしきものを描いたのです。
    (それまでは紙が破れるまで そこに鉛筆を押し当ててグチャグチャに描いてました)

    この時期から海斗の成長が著しくなっていきました。




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