「ことば」の「障害」とは


「ことばは口が話している」と思われていますが 脳が口に命令して話をさせているのです。

 例えば 脳が『おはよう』と言えと命令しない限り 口は勝手に「おはよう」とは言えません。

 ところが 「ことば」に「障害」を持つ子供達の中には 発声器官に何の原因がないのに
 脳が「おはよう」と言いたくても 脳自体になんらかの原因があって 口に正しく命令ができてないために話せないという子がいます。

 「ことばの障害」は発声器官の「障害」の場合以外に
 脳になんらかの「障害」があって それが「ことばの障害」としてあらわれている場合があります。



「ことば」が芽ばえ育つために
  

自閉症の子の中には「これ何色?」と聞くと「赤」とか「白」とか答えられるのに 指示通りの色を取ることができない子がいます。
それは耳を通して聴覚中枢が「赤を取って」とか「白を取って」とか聞いてそれを理解したとしても
  聴覚中枢が脳を媒介にして視覚中枢に伝えなかったり
視覚中枢がそれを理解して 赤や白を見ても 運動中枢に伝えなければ運動中枢は正しい行動を起こせません。


運動中枢が動こうとしても 他の器官とうまく協応できないと
思うように動けなかったりします。

      「ことば」を聞いた 
         ↓
      「ことば」を理解した 
         ↓
       理解したものを見た 
         ↓ 
             運動中枢が手や足に正しく指示を与えた 
         ↓
       手や足が動いた 
という一連の行動があって初めて「ことば」が分かったと言えます。

  このうち1つでも欠けると「ことばがわかった」ことになりません。

 「ことば」が芽ばえ育つためには 脳のあらゆる感覚の統合と身体各部の協応ができることが大切です。
                     〜「ことば」の遅れと指導プログラムから抜粋〜



言葉の発達のビル

下の表はSTのS子先生から聞いた『言葉を話すことができる為の発達の様子』を表わしたものです。
下段の「身体の成長」から上へ見て行きます。

身体の発達  情緒の発達

表出言語の発達(話す、書くなど) コミュニケーション 意欲
理解言語の発達(聴く、読むなど)
概念の形成(物の仕組みや特徴、使い方) 他者の模倣
経験を記憶する
経験を積む 他者との共有
運動の統合 (ボール投げ、縄跳びなど) 感覚の統合 (音遊び、オモチャ遊びなど)
細かな運動の発達 (つまむ、なめるなど) 感覚の発達 前庭、触覚、視覚、聴覚、味覚、 他者への要求
大きな運動の発達(立つ、座る、歩くなど) 他者への興味
身体の成長(体重、身長の変化など) 情緒の発達
 

このように色々な身体や情緒の発達があって 初めて言葉が出るようになるそうです。



言語訓練 ST


      「ママ」と呼んでくれたら それだけで幸せ。
       ほかは何も望まない、「ママ」それだけで良いからひと言喋ってほしい…
       そんな思いで始めた訓練でした。

       S子先生に出会わなければ 今の海斗と私はいないでしょう。



       海斗が2 歳になってもしゃべらないので
       小児科の先生に紹介してもらったのが
       K病院の言語聴覚士のS子先生でした。
       とても優しい雰囲気のS子先生は 自分の休憩時間にも関わらず
       海斗のカウンセリングをしてくれました。
       「お母さん、海斗君のこれまでの生い立ちを聞かせてください」と言われ 
       言葉がでないこと、多動、パニック、こだわりなど 心配なことを全てお話しま
       した。
       その間 海斗はSTの部屋を落ち着きなく動き回り
       S子先生の目は海斗を追い 耳では私の話を聞いていました。
      「このようなお子さんをお持ちのお母さんの気持ちは痛いほど分かります。
       海斗君は必ずしゃべるようになります。
       就学までにはみんなに追いつくでしょう」
       その言葉を聞いてどんなに救われたでしょう。


海斗2歳のころ 
       このころは月に1〜2回のST で 言語と言うよりも運動機能向上のためと言った感じの訓練が主でした。
       例えばジャンプの練習をしたりボールで遊んだりしました。
       それらのことは自宅でも練習するように言われました。
       はじめは「なんで言葉の訓練でジャンプの練習?」と不思議でしたが 
       言葉がでるための仕組みを知ってからは納得できました。
       海斗の大好きなミニカーやキャラクターの指人形を使っての訓練もありました。
       毎回1時間のSTでしたが 海斗は相変わらず多動で ちっとも言うことを聞かなかったように思います。
  
           海斗2歳9ヶ月  保育園に入園させる。(11月のこと)
       たくさんの子供たちと集団生活をすることで言葉の発達があるのではないかと思い
       保育園の「3歳未満児」のクラスに入園させた。
       S子先生の口添えがあったから入園が可能となったが
       当時私は専業主婦だったので「保育園は預かる必要性はなく 言葉が出ない子は手がかかる」との理由から
       午前中のみの給食を食べたら帰る、が条件の入園だった。
    

     海斗3歳から (保育園から就学まで)

       海斗が3歳のお誕生日のころ S子先生は産休に入られた、「海斗君は春には言葉がでますよ」と言って。
        S子先生が産休の間に 他の医療機関や保育園から連絡を受けた子供センターなどで
       診断を受け 「自閉症、知的障害」の診断名がでてしまう。
       S子先生の予言通り 海斗は3歳で初めての言葉 「イタイ」「イヤ」(3歳1ヶ月)がでるようになった。
   
        S子先生の産休明けに真っ先にこの診断を言う。
      S子先生は海斗を自閉症と認識はしてなく どうしてもと言うなら「不定形自閉症だと思う」と言われた。
      「言葉が遅れているから発達も遅れているのか?」と聞くと
      「そうではなく 何かの発達が遅れているから言葉の発達が遅れている」と言われました。
      それからは毎週STに通いだす。
      トイレへ入ったパパの姿を追いかけて「パーパー」とドアを叩きながら言う海斗の姿を見たとき
      本当に嬉しかったです。
      誰かを呼ぶ為にその人の名を呼ぶ、そんなことができるなんて考えたこともありませんでした。

息の出し方の練習ハーモニカ、ラッパ、シャボン玉、ローソクの火を消す練習
目と手の協応モンテッソリー教具(円柱さし),型はめパズル、ひも通し
構成顔や体の構成
(福笑いを使う、目や口、手、足の位置の確認)
弁別、分類仲間分け(色、形)
マッチング実物と実物、絵と絵、実物と絵のマッチング
絵の完成パズル



絵カード 目的
● 歯をシャカシャカ磨いているのはどれ?
● トコトコ歩いてるのはどれ? 
● ◯◯してるのはどれ?
動作語の理解
● ◯◯はどれ?
● これ何?
● ◯◯する物どれ?(かぶる物どれ?)
名詞(物に名がある)ことの理解
● お母さんがバナナを切っている
● お母さんがバナナを食べている
● お父さんが靴を履く
● お父さんが服を着替える
動作語の理解
● 笑っているのはどれ?
● 怒っているのはどれ?
表情の理解
● これは何ですか?
● ◯◯はどれですか?
語彙を増やす
● ◯◯があるのはどれ?
● ◯◯がないのはどれ?
ある、ない、いる、いないの理解
● 熊ウサギ背中を洗う
● ウサギ背中を洗う





       保育園のお友達の事を海斗の口から初めて聞いたのは 年少の10月のこと(海斗3歳8ヶ月)
       海斗が当時大好きだった同じクラスのY子ちゃん、またY子ちゃんも「私が海斗君のこと守ってあげる」
       と言ってくれて とても仲良かった2人です。
       Y子ちゃんは毎日髪の毛に花飾りをつけていました。
       「ハナ イナイ…」そう保育園から帰ってきた海斗が言いました。
            言語発達の遅れた海斗ですが 発語があってから半年足らずで
            「ブーブーアッタ(車が有った)」と2語分が出始めていました。
            その頃のSTでは「◯◯あった」「◯◯ない」「◯◯ちょうだい」の言語訓練をしていました。
       まだ「Y子ちゃん」と発音できない海斗がY子ちゃんを指す言葉として「ハナ」と言っていたのですが
       まさか お友達の事を自発的に言葉にして伝えてくれるとは思っていなかったので 驚きました。
       半信半疑で保育園の先生に聞いたところ その日Y子ちゃんは欠席してたのです。
       大好きなY子ちゃんが保育園に来なかった。きっと寂しかったのでしょう、
       「 ハナ イナイ…」この2語分で海斗の気持ちが全て理解でき、
       私はこの2語分をきっと忘れないでしょう。



      海斗、年長の時に受けた発達テストの結果からS子先生から「感覚訓練 OT」に行く事を勧められた。
      当時のテスト結果は 言語性104、 動作性84であり
      この言語性と動作性の数字の開きこそが発達障害ゆえなのある。
      私たちが住む街にはOTができる施設がないため 200km離れた街の施設に通う事になった。
      この県内にはOTができる施設はここだけのため 県内中からたくさんの子たちが通っていて
      通常は月に1度の訓練を2度にしてもらい 半年間の約束も9ヶ月に延期してもらいの訓練であった。
      指先だけの不器用でなく とてつもない運動音痴。
      体全体を動かすこと、バランス感覚などの重要性をしりました。
            
     写真のような遊具を使い体全体を使う訓練をしました。 
          また ボールプールなどもあったり ウォーターベッドもありで
     本当に遊びながらの訓練で 毎回楽しみにして通いました。  
       OTの先生は海斗が興味をもったものは それを否定せず
       訓練内容の予定を変更してでも 海斗の意思を優先してくれました。
       1つ言われたことは「便利な物は使わせてはダメ!」でした。
       例えば鉛筆削りは電動ではなく 手動でガリガリやるタイプのものを、
       財布はマジックテープ付きのものでなく 昔ながらのがま口タイプを、
       どんな小さな物でも指先を使うように 「すべて訓練になる」と。
 


     年長の終わり、卒園式の前に最後のSTがありました。
     2歳から卒園まで、いろいろな訓練をしてきた4年間でした。
     1時間の訓練のあとS子先生は
     「海斗君、これが最後の訓練です。もうブブーもピンポンもないよ」と言いました。
      (S子先生は訓練で海斗が間違えるとブブー、正解をするとピンポンと言っていました。)
     片道50km、往復で100km。訓練の時間は100時間になったとS子先生から聞きました。
     この4年間長いようで短いようで
     でも このS子先生との4年間がなければ 海斗のここまでの発達はなかったでしょう。
     藁にもすがる思いでこの言語訓練に初めてきた日のこと
     時に私の愚痴を黙って そして暖かく聞いてくれたS子先生
     海斗の悪態も落ち着きのなさも全て受け止めて 
     まったく怒らずに毎回の訓練を進めてくれたこと
     海斗の発達の程度を その度ごとにきちんと説明してくれたこと
     すべてのことが 走馬灯のごとく思い出され もう涙が止まりませんでした。
     就学を期にSTから遠ざからなければなりませんでしたが
     STまでの時間的な事や地理的なことがクリアーされてれば もう少し通っただろうと思う。

     この訓練があればこその現在の海斗である、そう私は思ってる。

     当時 自宅でも使っていた自作の課題道具が何点か残っているが
     それを見るたびに懐かしく思い
     「ママ」と呼んでくれたら それだけで幸せだと思っていたあの頃を思い出す。
                 



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